人生は、ただ一回のマラソン競争みたいなものです。
勝敗の決は一生にただ一回人生の終わりにあるだけです。
しかしマラソン競争と考えている間は、まだ心にゆるみが出ます。
人生が、五十メートルの短距離競走だと分かってくると、人間も凄みが加わってくるんですが。
(森 信三)
正月休みは、自宅あるいは郷里にて充電されたのではないでしょうか?
今日から本格的な仕事始めという方もいらっしゃると思います。
年があらたまって、平成22年(2010年)。
新しい1年の幕が開きましたが、昨年までの状況がリセットされるわけではありません。
平常業務の開始にあたって、慣らし運転から本格稼働となり、
目の前の課題、現実に向き合っていくことになります。
年があらたまって私たちは1つ歳をとりました。
朝起きると私たちの目の前には、
広大に広がる、昨日と変わらない時間が存在しているように錯覚してしまう場合があります。
「今日から仕事か。」「また新しい一年が始まるな。」・・
しかし、ここに一つの事実があります。
「時間は誰にとっても平等に与えられていますが、無限ではない。」
こうしている間にも私たちの寿命は確実に短くなっていきます。
悠長には構えていられません。
年があらたまる度にその思いは強くなっていきます。
冒頭の言葉で、森信三氏はわかりやすい比喩を用いて説いています。
『勝敗の決は一生にただ一回人生の終わりにあるだけです。
しかしマラソン競争と考えている間は、まだ心にゆるみが出ます。
人生が、五十メートルの短距離競走だと分かってくると、人間も凄みが加わってくる。』のだと。
私たちに平等に与えられている、限りある時間をどのように使うか。
しかし、同じ時間を過ごしても、
「今日は充実した時間を過ごせた」と思える日がある一方で、そうならない日もあり、
その時々によって私たちの経験濃度には濃淡や強弱があるように思います。
これを森氏は「心のゆるみ」と称しているのだと私は理解しています。
私たちに与えられた肉体的生命の長さ、限りある時間のタイムリミットが、
いつ到来するのかは神のみぞ知る。
それまでは「心のゆるみ」を補正していかなければなりません。
年があらたまるこの1月は、「補正」のための絶好の機会であると思います。