反省という言葉を聞くことがありますが、意味を取り違えている場合もあるようです。
最近もこのような場面を見ました。
今日一日を振り返り、失敗や成功を見出し、その味をかみしめる。これが体験である。
日々反省し、すいも甘いもかみしめる、それがいつか大きな体験となる。
松下幸之助
ビジネスでは、結果が重要視されますが、結果を出していればOKかというとそうではありません。
大事なのは、自分の活動の何が成功して、何が失敗したのか、
失敗した原因にまで踏み込んで、その後の対策に反映させたかどうか、
すなわち、反省し、体験になっているかどうかが問われます。
この反省という行為、とても大切なことですが、意味を取り違えているケースがあります。
最近もこのような場面を見ました。
「二度とあのような失敗は繰り返しません。」
「すべての責任はこの私にあります。」
どこかで聞いたことがあるセリフ。。。
不祥事を冒した企業のトップがこういう発言をする場面がテレビで繰り返し流れます。
でも、どれだけ頭を下げたり、涙をこぼしてみたりしても、この時点で終われば、ただの後悔です。
こういう言葉を述べている人は、後悔先に立たずの心境なのかもしれませんが、
このままでは、“後悔が活かされない”可能性が大です。
反省に似た言葉として、後悔がありますが、両者は全く異なります。
今年不祥事を起こした企業の中で、過去の過ちが体験になっていない企業がありました。
某大手食品メーカーがそのケースです。
この会社は食に携わる会社でありながら、失敗の味をかみしめることができなかったのです。
また、某老舗料亭は謝罪会見の中で、
母親である女将が息子の役員の謝罪の言葉を脇で指示していましたが、
音声をマイクが拾っていて全国放送で流されました。
あの会見を見て、あの企業が反省をしていると見る人は皆無に等しいでしょう。
すべては、失敗をかみしめ、反省し、体験にすることができるかどうかが問われます。
一時的に周囲を納得させるために発せされた言葉でないことを祈ります。
老舗と呼ばれ、年だけ重ねても成功も失敗も体験になっていない企業の将来は危ういものです。