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こんにちは、仙台のコンサル「マチスケ」にようこそ!
負けたときのフォローの言葉を考えているということは、自分に自信がないからです。 だからわたしは絶対、言い訳なんて考えない。 そんな余裕があるなら、選手を上手にする方法を考えたらいいんです。 実際、負けたときはどうするか、そのときはひとりの人間になればいいんです。 (井村 雅代『私はあきらめへん』の中で) 井村雅代、シンクロナイズドスイミングコーチの言葉です。 2004年のアテネ・オリンピックまで、日本代表を27年間指導し、 6回オリンピックに出場し、すべてメダルをもたらした。 日本シンクロナイズドスイミングを世界に通用するレベルにまで指導してきた方。 それまで6大会連続でメダルを獲得してきた日本チームが、 北京オリンピックではメダルをとることができませんでした。 その時、井村コーチは日本ではなく、中国チームのコーチ。 テレビでオリンピックの中継を見ていた私は、「え、なぜ?他国のコーチに」と思いましたね。 日本シンクロ=井村コーチというイメージを持っていましたから。 試合の結果は、中国チームが初の銅メダルを獲得し、日本はメダルをとれなかった。 「人生の歩き方『私はあきらめへん』」に、 中国チームのヘッドコーチに就任したいきさつが書かれています。 『もしもわたしが中国からの要請を断ったならば、どうなるだろうと考えたんです。 きっと、ロシアのコーチが中国に行くだろう。 そうしたら、またロシア流シンクロが脚光を浴びて、日本流シンクロをアピールする場所がなくなるんです。 日本流シンクロのよさをアピールするためには、北京五輪は開催国だから絶好の場所だったんです。』 失敗が許されない開催国でのヘッドコーチ就任。 それもオリンピック開催1年8ヶ月前での決断。 国内ではライバルチームに行くことに批判の声があがったといいます。 「日本流シンクロ」を世界標準に押し上げるという志を理解していた人がどれくらいいたのか。 当時、世界的には日本が二番、中国は六番という中での決断ということですから、 国内外からのプレッシャーの中に飛び込んでいったということです。 『もちろん最後の最後まで粘ります。 わたしはあきらめない。引いてたまるかと思ったんです。』 失礼ながら、井村氏が決断した年齢は50歳後半、 サラリーマンであれば定年間近の決断ということになりますね。 チャレンジスピリットに定年制はないわけですから、 年齢を言い訳をせずに、ビジネスパーソンが持ち続けなければならない感覚なのだと思います。
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